今までの記事を書いて、二日続けて公開したことはなかったと思います。
勢いだけで書く記事ならば、週1くらいなら多分、書けるはず。
学生時代なら、週1で、何かしらの記事や感想を書いていたんですが、社会人になると、どうも気力がなくなるんですかね。
何かしらの記事や感想を書いていたmixiに、久しぶりにログインしたのですが、マイミクが誰もログインしていないし、誰も日記も更新していない。
けれど、過去の日記は残っていて、なんだか、廃学校の教室に入って机の中に残っていたノートを読んでいる感じでした。
ノスタルジー。
前回の記事からの回想
前回の記事で、マイナビのメールでやらかしたという記事の感想を買いましたが、それで思い出したのが、私の学生時代に思っていた就活のあれこれ。
と、言いましても、私はそんなに激しく就活はしていないんだけどね。
(適当にやった結果が今の会社といっても過言ではない。みんなは、ちゃんと会社を選ぼうね。)
今に思う、意識の高い系就活生
今でもいうのかわかりませんが、「意識高い系」という言葉。(死語?)
私が思うに、一生懸命頑張っている人を馬鹿にする言葉なんですね。
「意識が高い人」と「意識が高い系の人」とは、正確には違うみたいですけど、方向性は同じ。
ただ、人間性や性格の良し悪しで変わるくらいで。
「無駄に頑張っていることをアピールする」とか「エントリーシートに書く内容を探す」とか、「横文字や名言を多用する」そういう方向に全力投球で、「ウザい人」なイメージだったのです。
私が学生時代は、そういう「意識高い系にはならないぞ」という考えでいました。
今思うと、その意識が高い系の方がいいと思うんですよね。
「意識が高い」ということは、
- 行動力がある
- 目標に向けて努力ができる
- 自信満々
- 少しやったこと、やっていることを過大に周りにアピールできる
ということじゃないだろうか、思うんです。
周りにそれを強要するのはどうかと思いますし、アピールするのが鬱陶しいのだと思いますが。
しかし、「何もしない。何もできずにいる」人間である私には、その行動力や自信満々な態度には感服するのです。
今でも理解できない意識高い系の行動
まぁ、意識高い系の人を行動力を称賛しましたが、今でも理解できない行動があります。
それが、
- 就活するため、エントリーシートを埋めるために、ボランティアをする
です。
私は採用担当ではないですけど、おそらく、採用する側の人間として
- どのような経験をして、”何を得たか”
が重要なのですよ。
何を得たがが重要なのに、”ボランティア活動をすること”が重要と思う人が多くいた印象です。
私が学生時代に、やたらボランティアに誘う子がいまして、二言目には
「就活でも使えるし」
とか言ってました。
何に使うのかは知りません。
- ボランティア活動してます。無償でも頑張ります。
とかいうのに使ったのかは知りませんが。
その人は、今、
「うちの会社、ブラックだ。サービス残業が横行している。」
とか嘆いていました。
その時、私は思ったのです。
「よかったじゃん、会社に対してボランティアできてるじゃん。」
と。
今の私
ここまで書いて、思う。
私って嫌な人間だなぁ
と。
もちろん、ボランティア活動は素晴らしいことですよ。
裏に何があるかはさておき。
「やらない善意よりやる偽善」なんて言葉もありますし。
しかし、強要されてボランティアなんてするもんじゃないんですよ。
自然と、「誰かに何かしてあげたい」と思った時にすればいいんです。
そういう私ですが、私も日々、ボランティア活動中です。
奉仕対象は、私の会社。
そう、サービス残業ですね。
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