どうせ美談になるんだから、思いのままに感じちゃおう。

日記

このめつきです。日々、成長なのか老いなのか、人生を歩んでいます。歩いているならいいんですが、転がり落ちていないですかね・・・。

11月に入ったばかりだったと思ったのに、もうすぐ後半。今年の終わりも近づいています。

焦ることもないのですが、焦燥感にはかられています。

まだ、何も成していないぞ。

バーサーカーから歴史学者へ

私が小学生のころに、FFT(ファイナルファンタジータクティクスであり、決して「高速フーリエ変換」ではない)をプレイしていました。

ストーリーはいうと、「アラズラムという歴史学者が、真実の歴史を語っていく。」という感じです。

プレイヤーが歴史の裏側に隠れた人物である主人公を操作するというスタイルです。

小学生当時の私は、バーサーカーのように、出てくる敵を斬っては投げ、叫んではモンクで叩き潰す、というプレイスタイルでした。(タクティクス要素なんて一切ない)

そして、肝心のストーリーなんていうものも、ほとんど理解していなかったと思います。

それが、最近、プレイ動画で、FFTを見たのですが、小学生当時の思っていた感じと全然違う。

ストーリーが深い、重い、そして、素晴らしい!戦闘が、タクティカル!

これに気付いたことが成長なのか、それとも何も考えずに小学生の時にプレイしていたのか、わかりません。

しかし、私は、何も理解していなかったバーサーカーから歴史学者の視点に立てるように成長したのでした。

感じ方は大いに変化する。

成長なのか、老いなのか、感じ方が変化する。

ストーリーの人物の感情や行動が理解できるようになったからなのか、目線を合わせられるようになったからなのか。

ゲームの主人公なんかは、子どもよりも高校生から大人の方がおおいでしょうから、小学生から見る世界とちがったのでしょうか。

改めてストーリーを辿ると、「そもそもそういう話だったっけ」ということも多々あります。だから、感じ方が違うのも当然なんですけどね。これが見える世界の違いなのか。

ストーリーを作っているのが大人ということもあるかもしれませんね。

大人が理解し作る美しい世界観を、大人になって見えるようになっただけなのかもしれません。

過去には戻れない

感性っていうのは過去には戻れないものなのです。

子どものころに感じていたことを、大人になってしまった今、同じように感じることができるか、と言われれば、答えは、「否」だと思います。

子どもの描く絵とか、子どものころにしか描けないなぁと思いますし、純粋な目で世界を見ている視線は、やはり子どものころにしか見えないのです。

そう思うと、幼児向けに描かれている絵本作家さんとかは、純粋な世界を見ているのかも! なんて思うとちょっと尊敬します。

大人が作った物語を大人の私たちが面白く思うのは、その目線が同じになったから。

なら、子どもが作った物語は、同じ視線の子どもが面白く思うのではないのだろうか。大人には理解できない、子どもにしか見えない世界で面白いこと。

ケータイ小説が流行ったのは、目線が同じだったからじゃないかな。

マーケティングを通すと大人が必ず入ってきちゃいますが、インターネットが発達した今日この頃、大人を介さずに、作品を発表できる環境があるので、もしかすると、子どもの作家なんてのもでてくるのかも。(既にいる??)

今思う感情を大切に。

話を戻して、昔のゲームを懐かしく思うのは、やはり老いなのか。

昔のことはきれいに映る。

しかし、今感じることも、今にしか感じることができない感情なのだと。

時間が立てば、どうせ美化されちゃうんだから、今感じることがすべて大切な感情なのだと。楽しんでいこうと思うのです。

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